人間いかに生きるべきか 伝説のプロカメラマン白川義員 の講演会より

Hi everone!! どうも劇的爽怪人間の廣谷健斗ことけんちゃんです!皆さん体調管理ちゃんとしてますか?コロナウイルスとやらが流行ってますからね😭しっかりと予防をしましょう!ちなみにウイルスは和製英語で、本当はvirus(ゔぁいらす)と言います。

前置きが長くなりましたが、本日のブログはタイトルにある通り、先々週いってきた伝説のカメラマン白川義員の講演会で聞いた、彼の生き様を紹介しようと思います!ちなみに彼の生き様から”前人未到”という言葉が生まれたそうです!!そんな前人未到の生みの親、白川義員の人生は想像を絶するものでした😱

まずは白川義員についてのプロフィールをざっと紹介します

彼は1935年愛媛県に生まれ(御年86歳👨‍🦳)大学卒業後フジテレビに就職。そこで海外に行き撮影取材行い、フリーカメラマンとしての活動を開始。帰国後フジテレビを退社。その後人生を通して134カ国を撮り回り、写真界最高の権威である全米写真家協会の最高写真家賞を受賞!その他様々な賞を受賞し、エベレスト登頂、人類初の南極一周など数々の偉業を成し遂げた、世界的写真家。

これから、彼の講演会で最も印象に残った二つのエピーソードを紹介します。

1,カメラマンとして生きていくきっかけ

彼はフジテレビに就職していた当時、宣伝用に使う海外の山の写真を撮ってくるように言われ、アメリカに行きました🇺🇸そしてアメリカを撮り回る中でマッターホルンの朝焼けの景色を見た時………あまりにもの美しさにシャッターを押し忘れたのです。

“この地球にこんなにも美しい景色があるのか!アメリカだけでもこんなに美しい景色があるのなら、この世界にはどれだけの美に溢れているのだろうか”

その好奇心に突き動かされて、フジテレビに戻ってきたと同時に退社しカメラマンの道に進んだのです✨

2,”差別”を乗り越えて

カメラマンになった後、彼は世界中を撮り回ります。当時、海外に行くだけでも大変だった時代、彼が一番思い悩んだのは”日本人への差別”でした。どこから来たんだと現地の人に聞かれ、日本と答えると水をかけられる。山小屋で雑魚寝する時は白川さんの周囲2mは誰も近づかない。また包丁で襲われたこともあったそうです。本人は日本人というだけで畜生以下の扱いを受けたと言います。しかし、彼はいつか奴らを見返してやるとその差別に対する怒りを原動力に前人未到の数々を成し遂げてきたのです。

いやぁ、みなさんいかがでしたか?僕はこんなにも凄い日本人がいたんだ!と感銘を受けると共に、自分も夢や目標にむかって妥協なんてしてられないなと感じました❗️

最後に彼が講演会の最後に聴衆に残した言葉を紹介して終わります。

「死ぬ気で仕事しろ」