大切なものは目には見えない

今回は別役実さんの 星と風と夜の物語「星の王子さま」より を紹介します。

以前、北村想さんによる想稿・銀河鉄道の夜を紹介しましたが、
今回も原題があり、それを戯曲化したタイプの脚本ですね。
星の王子様自体もとても好きな作品です。なんとなく自分の好みの系統がわかってしまいます。(笑)

膨大な量の戯曲を書いてきた別役さん作品の中では比較的近年に書かれたこの戯曲。
手元にあるのは「さらっていってよピーターパン」という名前の本なのですが、ここに

「さらっていってよピーターパン」
「とんで孫悟空」
「夜と星と風の物語『星の王子さま』より」

の3つの戯曲が収録されています。

なんとなく共通点がイメージできたでしょうか?
これらは別役さんが「子供たちに見せるための戯曲」(あとがき抜粋)というコンセプトで書かれた作品群。どれも劇中に歌が入っているのが特徴です。


●本編紹介

その中でもこの「夜と星と風の物語『星の王子さま』より」は楽器演奏も伴う音楽劇として上演されました。
作品の大きなテーマは  になっています。
かつ、親子愛的な要素もありますが、より恋愛に意識を向けて書かれております。

・王子さまとバラとの若さに満ちた愛
・飛行士とそのフィアンセとの若さと勢いでは片付けられない愛
・飛行士とその両親との親子の間に存在する愛

この3つが、行ったり来たり、重なったり、すれ違ったり、かすったり…。
次から次へ、場面と話が展開されてゆきます。


さて、もうお気づきの方もおられますでしょうか?
この物語は王子様の愛についての話よりも飛行士にまつわる愛の話の方が重視されています。

「星の王子さま」の飛行士と言えば、作者のサン=テグジュペリ本人とされるのが一般的です。

つまり…この作品は王子さまの物語というよりサン=テグジュペリの物語になっているのです。


●成立背景?

ここから話すことは半分推測になりますが…
別役さんがサン=テグジュペリの物語として戯曲を書いたのは、2000年になってサン=テグジュペリの搭乗機が発見され、
世界的なニュースになったことがきっかけのような気がします。

サン=テグジュペリ飛行機に乗ったまま行方不明になった日から55年以上も経って、世界は彼の最期を知ることになります。
この事実を戯曲の中で詳細に説明しています。

また、その事実を登場人物たちに宣告するかのような重要なセリフがこの戯曲の中に登場します。
※大きくネタバレになるのでスクロールしてお読みください。
 ただ、今回は場合によってネタバレ読んでから戯曲を読んでも面白いかもしれません。スマホの方は面倒ですみません。白部分をメモ帳などにコピペしてみてください。


物語は終盤になり、

フィアンセが「その飛行機はね、砂漠には落ちなかったの……。」

そして飛行士の両親が「それじゃ私たち、まるっきり見当違いのところを探していたのかしら……?」
実は序盤には、その両親たちは「まだ落ちてないんです……。」というセリフを発しています。

これを読んだ時、背筋がゾクッとなりました。
彼の飛行機が撃墜された(現実では行方不明になった)という情報だけは人々に知れ渡っていましたから、
彼は55年もの間、ずっと飛行機で落ち続けていたのです。

そして、息子を探していたはずの両親は砂漠ですでに死んでいた。死んでなお、落ち続ける飛行機を探し続ける両親。

「自分は不条理作家と言われているが、年をとると思い出が大切になり、恋愛について書きたいと思うようになった。」

なんて言いつつも、やはり別役さん恐るべしですね…。鳥肌ものです。

サン=テグジュペリに影響を受けて宮崎駿監督が紅の豚を作ったという話を聞いた事がありますが、
たぶんあの飛行機乗りの墓場のシーン、全く同じことが表現されているのではないかと思います。(紅の豚はサンテグジュペリの機体が正式に発見される前に公開)


21世紀に入る直前、50年も前の人間の存在が多くの人々の心に蘇った。


それが別役さんにとって大きな意味を持ったのではないでしょうか?
あるいはそれこそ、愛してやまない人のことを忘れない。とか、会えなくっても大丈夫。

つまり、「いちばんたいせつなことは、目に見えない」ということかもしれません。

飛行士を中心に描かれるこの作品には王子さまの友だちであるキツネは出てきません。
他のいきものはたくさん出てきます。ヘビもちゃんと出てきます。
でも大丈夫。飛行士の友だち(そして彼を愛する人)はきっと世界中にいたのだから。

この物語にはそんなニュアンスが込められているような気もします。


●現代人の世界観とともに

ここまでで終えてもよかったのですが、もう少しだけ。

この戯曲を読む上で押さえておくと面白い概念というか世界観みたいなものがあります。
それはパラレルワールド(並行世界)の概念です。
現代に生きる私たちは色々なSF作品普及のおかげもあり、パラレルワールドと聞いても大多数の人が何となくイメージできるようになっています。

この戯曲ではパラレルワールドの存在が示唆されており、原作にもある「王子さまが自分の星に帰る」くだりの他、
飛行士が不時着したこの砂漠も、彼が飛び立った世界と同じようだけどある点において違う世界なのではないか?
という書き方をなされています。

生きているか死んでいるかという問題はいつだって無視できない程の問題です。しかしながら、

自分の目に見える世界にはあの人がいないだけ。

あるいは、

自分が存在していない世界に確かにあの人がいる。

という考え方もできるのかもしれません。
どうでしょう?それはあまりに寂しいし、意地悪な考え方ですか?


ということで、今回は別役実さんの、夜と星と風の物語『星の王子さま』より について書かせて頂きました。



※参考ページ

 

・夜と星と風の物語『星の王子さま』より の収録されている戯曲本 さらっていってよピーターパン


・別役さん出身校の有志フォーラムによる 夜と星と風の物語『星の王子さま』より 観劇会についての記事
http://www.asahi-net.or.jp/~pu4I-aok/cooldata2/nwe/betsuyakuj.htm

・Rekisiru 作家サン=テグジュペリとはどんな人? 
https://rekisiru.com/2433

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